12月09日

2018年12月09日僕たちは初めての「決勝」を戦った日。
2019年12月09日僕たちの渡辺晋氏が仙台を去った日。

このコントラストがより虚しさを引き立たせる。
よりによって同じ日というのは…

それでも、僕は強化部が最善手に近い手筋を打ってる事は理解しているつもりです。
まぁー世の中終わらないものは無いですし残念ではあるけれど仕方ない部分もあるわけです。

オフシーズン企画1回目は、渡辺晋氏と進んだ14年-19年を振り返って総括していきたいと思います。
(なお、19年の振り返りは単独で1本記事にしようと思っています。)


振り返り


2014年~救世主~

  リーグ戦 :14位(勝ち点38)
  ナビスコ杯:グループリーグ敗退
  天皇杯  :2回戦敗退

手倉森氏が五輪代表監督へと抜擢され08年以来の監督交代をすることになった仙台。
選択したのはアーノルド氏。仙台は13年からボールを握りことにトライしており、
アーノルド氏はそれをセントラルコーストで実現しACLへ導いた監督そんな評価だった。
しかし、予想外(?)に結果が出ず、チームとしてスカッドが無く監督と選手の信頼関係は崩れ
チームが崩壊J2を覚悟した7節。浦和戦。そこからの解任。
そして、渡辺晋氏の監督就任(ここの白幡社長の剛腕は素晴らしかった)
第9節-マリノス戦。日産スタジアムで赤嶺2Gでの完勝。
あの日飲んだ酒の味は忘れないしどこで飲んだかも覚えてるんだよ笑
今その店は店名変わって磯丸水産になっているけど。ほんとべろべろになって帰ったんだ。
そこから巻き返しセレッソとのし烈な残留争いを制して2014年は残留。
渡辺晋氏が居て良かったと実感したシーズンだった。


2015年 ~挫折と変化~

  1stステージ:07位 (勝ち点23) 
  2ndステージ:16位 (勝ち点12)
  総合    :14位 (勝ち点35)
  ナビスコ杯:グループリーグ敗退
  天皇杯  :準々決勝

手倉森政権化で活躍した太田、柳沢、角田など多くの選手がチームを去る。
その中で手倉森式4-4-2を試すもゾーンが仕込めず。そして、2ndステージ7節アウェイ鹿島戦での逆転負け。
そこから、手倉森式から離れ4-4-2のDHがボールを握りゲームをコントロールするチームに変化していく。
だが、リーグ戦では結果が出ず2014年と同じような結果で変化を求めたので得体の知れないチームとなっていた。
希望の光だったのはシーズン終了後の天皇杯準々決勝でDHに藤村を使うと藤村が輝き来年への希望を見せる。
なお、試合はクリスチアーノにボコボコにされPK負け。しかし、来年は飛躍出来そうな雰囲気をようやく見つけたゲームだった。


2016年 ~序章~

  1stステージ:10位 (勝ち点23) 
  2ndステージ:12位 (勝ち点20)
  総合    :14位 (勝ち点43)
  ナビスコ杯:グループリーグ敗退
  天皇杯  :2回戦敗退

FC東京より三田が加入。捌けるDHを獲得し2015年天皇杯で見せたゲームモデルを磨き、輝きを強める事となる。
三田が最終ラインに下がって3バック可変でビルドアップの安定。みたいなここ最近に繋がるきっかけを1年目だったと思う
ただし、ボールは明らかに動くようになったが、相手が動かないケースが増えていき、2列目を突破出来ないケースが増えていった。
そこで、ハモンロペスを戦術兵器として、遅攻時は、中央でポストプレー。速攻時はサイドに流れスペースに走り込みカウンター。
と2つの異なるタスクを与え、それが見事にはまる。
結果、ハモンロペスが通用する下位のチームには勝てるのだが、ハモンロペスが通用しない上位のチームには勝てず。
残留圏の1つ上のポジションで終始過ごす1年となった。


2017年 ~鼓動~

  リーグ戦 :12位(勝ち点41)
  ナビスコ杯:準決勝敗退
  天皇杯  :2回戦敗退

ハモンロペスが柏移籍で去年の戦術兵器を失った仙台。
去年の三田に加え新たに、石原、中野、永戸、夏に野津田などを加え、3-4-2-1に変化。、
「ポジショナルプレー」、「5レーン」、「ハーフスペース」の渡辺晋氏のキーワードとなる戦術がこの年に生まれる。
この年から監督は「良い立ち位置」という言葉を繰り返し使っていて立ち位置に言及。
ただ、当初はトランジションを考えない、ボール保持特化した立ち位置だったため、失った瞬間即失点みたいな状況が続き、
浦和に0-7の敗戦。その次の鹿島に1-4の敗戦と苦しい状況が続く。
その中で16節のセレッソ戦や17節のガンバ戦共に大量失点で敗戦しているのだが、得点は素晴らしく美しいものになってきており
負けながらも手応え掴んでいく。後半戦はバランスを意識。徐々に攻守の立ち位置がリンクし始め安定した成績を手に入れ始める。
この新しい戦術の中、西村や佐々木匠などは躍進。ルヴァンカップで結果を残し始める。そのルヴァンカップは準決勝まで進む。
川崎をあと一歩まで追い込むもののアグリゲートスコア4-5での敗戦。
初のカップ戦決勝あと一歩届かず悔しいシーズンとなった。
勝ち点、順位は去年とほぼ変わらず。それでも来年の躍進を予感させる年となった。


2018年 ~飛翔から失速。だけど初の決勝進出~

  リーグ戦 :11位(勝ち点45)
  ナビスコ杯:プレイオフ敗退
  天皇杯  :準優勝

この年核の三田を神戸にもっていかれ前年と同じように戦術兵器を失う仙台。
ただ、去年の期待感からするとまだやれるという感じが強かったと思う。
また、三田の代役として庄司を獲得。野津田-奥埜IHからの庄司アンカー。日本のデニス・ガイガー!
僕は優勝予想したけど、めっちゃマジで言ってた。
でも、庄司はハマらず笑 最後までボールに寄ってくる。立ち位置を理解できない子だった(苦笑)
それでもチームは去年の壁だった5-4-1をぶっ壊すための3-1-4-2など着実にチームとしての幅は広がっていき、勝利を重ねる
26節時点で4位というACL圏を狙える位置につけるまでいく。しかし、問題はここから。
この年24節までで10得点とブレイクしていた西村がCSKAモスクワ移籍。
結局それが痛恨で、27節~最終節の34節までで得た勝ち点はたったの4。この7節で仙台は徐々ボールを持てなくなる。
その要因は各チームがスペースを守るという事が出来て人に食いついてくれなくなったからだと思う。
なので、相手を動かせなくなってしまった。
また、そういう時に間で受けたターンしてフィニッシュできる西村を失ったのも大きかった。結局これを最後まで修正出来ず。
最後仙台はミシャ式に手を染める。それで何となく形は作れるようになり、天皇杯は決勝までこまを進める事が出来た。


2019年 ~終焉~

  リーグ戦 :11位(勝ち点41)
  ナビスコ杯:プレイオフ敗退
  天皇杯  :4回戦敗退


奥埜、板倉、中野の移籍、野津田の広島復帰と駒を失っていく仙台。その中で、吉尾、兵藤、長沢、シマオ、石原を補強。
立ち位置を理解という意味では最初からになったのだが、キャンプから仕込んだのは去年の継続。ミシャ式だったのだと思う。
そのつけがずっと出て立ち位置をとれず序盤から勝てず苦戦。その中で照山、キム、常田が後ろからビルドアップでき
好調だったので彼らをリーグで使うと少しは勝てるようになるがボランチのところでタスクオーバーになり安定せず。
なので、仙台は4-4-2に変化。ボランチのタスクを整理する。
それでもインテンシティが足りず失点は抑えられないので、ついに立ち位置への拘りを捨てシマオ-平岡で守るサッカーに変更。
そこから4連勝もあり一気に吹き返す。アウェイでの勝率は低いのが足を引っ張ったがホームでは高い勝率を誇り11位と前年と同じ順位でシーズンを終えた。
ただし、ここ数年カップ戦タイトルが身近にあったがそこは全く届かず。というシーズン。
そして、この内容結果などで渡辺晋氏の退任が決定となった。


最後に

ざっくり振り返るとこんな感じであって良い時って17年の後半から18年の27節まで。と意外と短い期間であった。
ただ、この期間に夢を見せてもらった。と思う。幸せな時間を過ごせた。
渡辺晋氏は手倉森氏が植え付けた伝統堅守速攻にもう一つ賢攻を乗せ堅守賢攻が出来る仙台にしたかった。
ただ、それには仙台は色んなものが足りない。フロントも監督も頑張ったとは思うがやはり、資金が続かなかった。
ここに経営陣が結果を残さないと次のステップに上がれないと分かっただけでも大きな成果であった。
そして、それはとても難しく課題が多すぎる。仙台の仕組みから変えないといけない。
がそれは、かなりの変革が必要でそれが出来る人材は今のところ見つからない。
まーそのあたり僕は素人なのでこれ以上は言わないけど苦しい。
なので、しばらくはこの規模で戦わないといけない苦しい状況が続く。その中でJ1にかじりつくために今年監督交代をした。

強化部のプロフェッショナルな判断であり僕は批判する気はおきない。
だけど、最後に渡辺晋氏が語った夢は捨てたくはない。
とすると、渡辺晋氏のあの夢を繋ぐものは僕たちサポーターなんじゃないかと思うんですよ。
あの夢は10年-20年単位で見ないといけない。その長期体制は今のところ作れないからサポーターが繋ぐべきだと思うですよ。
たぶん、チームの哲学というかプレーモデルというのはサポーターも共に作る一員であって一因なのだから
僕らが渡辺晋氏の夢を繋ぐ。それがいいんじゃないかなーと思うんですよ。

最後が言いたいだけなんですけど、ここまで6年間簡単に振り返りましたが渡辺晋しには感謝しかないです。
本当にありがとうございました。ゆっくり休んで20年は解説業とか欧州とか言ってたくさんインプットしてほしいなと
そして、またアウトプットして僕らに色々教えて頂けることを心から願うのです。


ところで、天皇杯初戦敗退しすぎじゃない?笑